学びの糸を紡ぐ

自分なりになにかを身に着けていく過程をまとめたり、記録しておきたい心情を残したり。

岸政彦『ブルデュー『ディスタンクシオン』(NHK100分de名著)』を読んだ

どんな本?

ピックアップメモ

  • ブルデューが提唱した概念3つ、ハビトゥス、界、文化資本(p30)
    • ハビトゥス(p31〜)
      • ハビトゥスとは、持続性を持ち移調が可能な心的諸傾向のシステムであり、構造化する構造として、つまり実践と表層の算出・組織の原理として機能する素性をもった構造化された構造である」
        • 評価や行動の傾向のこと。持続性があり、いろいろな分野で共通して同じ傾向を示す(移調可能)もの。意図することなく自然に、無意識に、反射的に、身体的なレベルで、選択や評価をする際に発揮される傾向のこと。
      • 「(ハビトゥスとは、)現に所有されている諸特性の習得条件に固有の必然性を、直接に獲得されてきたものの範囲を越えて、体系的かつ普遍的に適用することができるようにするものである」
        • 幼い頃にピアノを習ったとする。その子はピアノの技術に限らずクラシックや別の音楽の存在(ジャズ、ポップス等)とそれぞれの社会的意味(権威の高さ低さ、高級感や安っぽさなど)もあわせて感覚を身につける。また、「今この瞬間やりたいことを我慢して何かを継続的に努力して身につける」という過程も体験する。生涯にわたって他の場面や状況でも役に立つような教養や態度を身に着けていると言える。
      • ハビトゥスは主に家庭と学校での社会的関係の中で身につけられる(ただし、幼少期以降の経験もハビトゥスに影響は及ぼす)。家庭で身につけた場合と学校で身につけた場合でハビトゥスは異なってくる。
        • 自然な形で文化に触れた上流階級は、努力して何かを身につけるやり方から距離を取れ、のびのびとしたものとなる。努力して獲得せざるを得なかった中流階級は、禁欲的な文化表現を好む。
    • 界(p40〜)
      • 似たような傾向を持つハビトゥスの人々がクラスターを形成していく様子を社会の側から見たとき、それはさまざまな座標軸によって構成されるひとつの空間のように見える。それを界と呼ぶ。
      • あるハビトゥスに従って何かを良いと判断することは、必ず他社に対する差異化や卓越化(ディスタンクシオン)の動機が含まれる。それを「象徴闘争」と呼ぶ。無意識的な価値観の押しつけ合戦が必ず発生している。
        • 例えばジャズを価値のある音楽だと考える人がポップスを下に見たり・・・。
      • 象徴闘争を繰り広げる場が界である。
    • 人々は同時にいろいろな界に属しその数だけ象徴闘争に参加している。それゆえ、「上流階級は必ずバッハが好き」のような単純な還元主義に陥ることはない。
    • 文化資本(p64〜)
      • 経済資本との対比で考えられるもの。ハビトゥスに似ているがより具体的な概念。文化財、教養、学歴、文化実践、文化慣習のようなもの、ブルデューの言う美的性向のようなものを指す。
      • なぜ資本と呼ぶかというと、それぞれの階層構造や界のなかで、資本として機能するから。資本とはすなわち、投資され、増殖され、蓄積されるもの。
      • 美的性向は、差し迫った必要から開放された世界経験の中で身につくもの(芸術とか)。なので、得られる環境に関しては社会階級が大きく影響する。

感想

  • 自分に当てはめて考えても非常に説得力があった。
    • 自分は昔親からピアノを習っていたり家にクラシック音楽のCDが大量にあったり、絵画が飾られていたり、座って勉強する週間を小さいうちから身につけられていたり、父親が本を読んでいたりした。
    • 当時は気に求めていなかったが、これらが自らの趣向に大きく影響を与えていることは明らかだ。
  • 文化資本を身につけるのも活かすのも「差し迫った必要から開放され」る必要があるのではないか、と感じた。
    • 大学時代は映画を多く観たりや美術館めぐりをしたりしていたが、エンジニアとしてサバイブするのに必死な時期にはそういうものに時間を割く余裕がなかった。
    • 昨年から本を読み出して教養を身につける活動をしているが、これは仕事のほうが一段落して(年収も上がり市場価値が一定の高さになって安心感が出てきて)「差し迫った必要から開放され」るようになった事が大きい。美的性向を身につけられる環境が整ったし、過去に見に付けたハビトゥスに従ってやりたいことをやれる環境が手に入ったように思う。
    • それゆえ親から独立したあとに(社会階級が高い人達に見られるような)ハビトゥスに従って文化資本を得続けるには経済資本も重要になると言えそう。
  • 子育てにも大きく影響してくると思った。
    • 文化資本とはいえ、充実した人生を送るために重要なものとそうでないものがあると、直感的には感じる。
    • 例えば、クラシック音楽がカッコいいみたいなのは社会的に上流っぽいというだけであり、クラシック音楽が絶対的に優れているということを意味しない。子どもがポップスが好きでも別にいいだろう、と思う。自分の心に従った結果その世間的な地位が低かったとしても恥じる必要はない。
    • 一方、学習する習慣とか教養を身につける姿勢とかは、人生を豊かにしてくれたり経済資本に影響を与えたりするので、積極的にそれ系のハビトゥスを獲得してほしいと思う。
    • 上にも書いたが、美的性向は「差し迫った必要から開放された世界経験の中で身につく」が、活かすのも同様だと思う。大人になってお金を稼ぐことに必死だと、せっかく養った美的性向があっても、それが活かせない。それゆえ、経済資本に直結する文化資本(学歴とか)は、重要度が高いと感じる。
  • 学びはあったが、100分de名著なのでさすがにざっくりしすぎていた。
  • 直接『ディスタンクシオン』とは関係ないが、敢えて難しい文体で文章を書いて認められようとする傾向がある、というのはしょうもないなと思った。
    • ジョン・サールが尋ねたところ、フーコーは、「フランスで認められるためには理解不可能な部分が10%はなければならないと答えたというのです」
    • それを聞いたサールがプルデューに話したところ、「10%ではだめで、少なくともその2倍、20%は、不可能な部分がなければ」と語ったらしい。

from where?

  • 自分は今非常に恵まれた環境を有しているが、実力で今の状態を獲得したみたいなことはほとんど思っておらず、たまたま遺伝子と育った環境と運のおかげでここに至ったと思っている。
    • 例えば知性も性格も遺伝子と育った環境が大きく影響を与えるし、努力できるかどうかすら同様。なので今の学歴や給与等もほとんど親から与えられたものおかげだなぁ、と感じたりする。
    • なので、逆に言うと遺伝子と育った環境と運が違えばどんな自分でもあり得ただろうと思う。したがって、誰に対しても「そうであったかもしれない自分」を感じることができる。自分は誰に対しても愛を持って接したいと思っているが、その根底にはこの考え方がある。この世の誰もを切り捨てず、「そうであったかもしれない自分」を重ねて、愛を持って接したいと思う。
  • 一方、世の中には自己責任だとか、努力が足りないとか、そういう考えをする人も多い。
  • そういう人に対して「いやいや、こういう考え方もあるんだよ」と示せる、学問に裏打ちされた何かを手に入れたかった。
  • ディスタンクシオンというものをたまたま目にしたとき、そういうものが得られると直感したが、難しそうな本だったので、まずは一番簡単そうなこの本を読むことにした。

to where?

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