学びの糸を紡ぐ

自分なりになにかを身に着けていく過程をまとめたり、記録しておきたい心情を残したり。

見田宗介『現代社会の理論: 情報化・消費化社会の現在と未来』を読んだ

ピックアップメモ

  • p23
    • T型フォードは人間の作業の工程を徹底的に分解し標準化し企画し、合理的に組み立てることで、コストダウンを実現した。これは「科学的管理法」の思考と対応している。
    • GMは、工業技術については全く無知だったと知られているが、消費者の声に敏感に反応することのできる組織に大きな権限を与えるシステムを打ち立てた。「美術と色彩の部門」
    • GMは「自動車は見かけで売れる」という原則を打ち出し、「デザインと広告のための年々のモデル・チェンジ」という戦略をとり、機能の合理主義を取る老フォードに打ち勝った。
    • 自動車を現代の服飾と同じ、デザインと広告とモード(勾配のリズムが消耗のリズムを越えていればいるほど、モードの支配力は強い)の商品にした。
    • 18年以上にわたって同一機種を生産し続けたフォードと、モードの固有性である「年次性」の商品に転換したGM
    • モードは自己否定を通して世界を支配する。デザインは「それ自体として」モードとなるのではない。(日本の広告における「当社比」もそれを表現している)
  • p30
    • 古典的な資本制システムにおいては、需要の有限性と供給能力の無限拡大する運動との間の矛盾が、恐慌という形で顕在化するというものだった。
    • <情報化/消費化社会>は、需要を無限に自己創出するという方法でこの矛盾を克服した、初めて自己を完成した資本制システムと言える。
    • マルクスはこの純粋な資本主義、資本制システムの自立と完成の形式を見ないで死んだ。
  • p67 「情報化/消費化社会が見出した<市場の無限性>という成長の無限空間は、<資源の有限性>という、新しい臨界と遭遇していた」
    • 現代の社会のシステムを特徴づける大量生産と大量消費は、以下のように整理できる。
      • 大量採取→大量生産→大量消費→大量廃棄
    • 大量採取と大量廃棄により、環境/資源の問題を引き起こしている。
  • p80
    • 資源/環境の問題は、「外部社会」に転嫁されてきた。資源採取や産業廃棄物の廃棄等。
    • 例えば日本の商社は、現地企業の基準に合わせてプラントの建造を行ったりする(「ダブル・スタンダード」)。
    • フィリピンではOKだが、日本では排煙脱硫装置がついておらず、環境基準に適合しなかったりする。
  • p83 「発展途上国で使用された農薬の50-70%が、現地民の食料の生産ではなく、コーヒー、バナナなど輸出用の作物に向けられている」
    • 農薬の「ブーメラン現象」として石が記している通り、遠隔化と不可視化という自己欺瞞の装置を通して、ゆたかな消費社会は結局、法的に禁止した農薬の少なくはない割合を、自分の身体に回収している。
  • p92 「「豊かな社会」の高度化しつづける消費水準が、「世界の半分」の飢えをつくりだすメカニズムのうち最も直接で見えやすいものは、先に見たような、必須食料品である穀物の、家畜飼料化、嗜好品の素材化とともに、基本食料の生産にあてられていた土地の収奪(輸出商品への作物転換)である。」
  • p98 「「人口問題」が、貧困の原因である以上に結果であること」
  • p104アメリカの原住民のいくつかの社会の中にも、それぞれにちがったかたちの、静かで美しく、豊かな日々があった。彼らが住み、あるいは自由に移動していた自然の空間から切り離され、共同体を解体された時に、彼らは新しく不幸となり、貧困になった。経済学の測定する「所得」の量は、このとき以前よりは多くなっていたはずである。貧困は、金銭をもたないことにあるのではない。金銭を必要とする生活の形式の中で、金銭をもたないことにある。貨幣からの阻害の以前に、貨幣への阻害がある。この二重の疎外が、貧困の概念である。
  • p105 「貨幣を媒介としてしか豊かさを手に入れることのできない生活の形式の中に人びとが投げ込まれる時、つまり人びとの生がその中に根を下ろしてきた自然を解体し、共同体を解体し、あるいは自然から引き離され、共同体から引き離される時、貨幣が人びとと自然の果実や他者の仕事の成果とを媒介する唯一の方法となり、「所得」が人びとの豊かさと貧困、幸福と不幸の尺度として立ち現れる。」
  • p110 北の貧困
    • 電話がなくても人間は生きることができるが、1990年代の東京で電話がないという家族は、義務教育の公立学校の「連絡網」からも脱落する(「特別な処置」ではじめて「救済」される存在である)
    • つまりその生きている社会の中で「ふつうに生きる」ことが出来ない。
    • これらは「羨望」とか「顕示」といった心理的な問題ではなく、この社会のシステムによって強いられる客観性であり、構造の定義する「必要」の新しい地平の絶対性である。
  • p111 「現代の情報消費社会のシステムは、ますます高度の商品化された物資とサービスに依存することを、この社会の「正常な」成員の条件として強いることをとおして、原的な必要の幾重にも間接化された充足の様式の飢えに、「必要」の常に新しく更新されてゆく水準を設定してしまう。新しい、しかし同様に切実な貧困の形を形成する。この新しく「釣り上げられた」絶対的な必要の地平は、このようにシステムが自分で生成し設定してしまうものだけれど、同時にこの原題の情報消費社会のシステムは、(この新しい「必要」の地平を含めて、)<必要から離陸した欲望>を総観光とすることを存立の原理としている。原的な必要であれ新しい必要であれ、すでにみたように現代の情報消費社会は、人間に何が必要かということに対応するシステムではない。「マーケット」として存在する「需要」にしか相関することがない。システムがそれ自体の運動の中で、ますます複雑に重層化され、ますます増大する貨幣量によってしか充足されることのできない「必要」を生成し設定しながら、「必要」に対応することはシステムにとって原理的に関知するところではないという落差の中に、「北の貧困」は構成されている。それはシステムの排出物である。つまりシステムの内部に生成されながら外部化されるものである。」
  • p113 「福祉」という、現代の「豊かな国々」のシステムが対象とする人びとは、労働する機会のない人びとと、労働する能力のない人びとである。後者には、傷病者、心身障害者、自動と高齢者が含まれる。
    • (これは、)現代の社会のシステムの原理上の欠落を補完するものとして、完璧に論理的である。
    • 「必要」を「需要」に翻訳するパラメーターは貨幣を所有することであるが、労働する機会か能力の欠如は、この翻訳するパラメーターの欠如にほかならないからである。
    • この社会の原理的なシステムによっていったんは外部化され「排出」された矛盾の、第二次的な「手当」であり「救済」であるという構造は、この「福祉」という領域を、基本的に傷つけられやすい vulnerable ものとしている。機器の局面にはいつも、「削減」や「節約」や「肩代わり」や「自己負担」や「合理化」の対象として議題の俎上に載せられるものとしている。
    • <福祉>welfare というコンセプトが、(その原的な目的性においてではなく、)システムの矛盾を補欠するもんとおして、消極的な定義をしかうけていないからである。
  • p117 ここまでの議論が本当によくまとまっている。さっと読み返すならここ。
  • p118 「はじめに原的な解体と剥奪があり、貨幣的必要の絶対性への従属があり、その上でこの「必要」がシステムに由って原理的に離陸されてある、という二重性による不幸の構成は、「南の貧困」と同一の論理によってつらぬかれている」
  • 四章では、この外部収奪的な社会を、不幸と限界を、それでも自由な社会という理念をシステムの原理として手放すことなくのりこえていくための条件と課題が述べられている。
  • p148 <情報化>それ自体は、・・・現代の「消費社会が」、自然収奪的でなく、他社会収奪的でないような仕方で、需要の無限空間を見出すことを、はじめて可能とする条件である。
    • p152 資源は有限だが、情報は無限だからである。
  • p153あたり
    • 情報の3つの様相。認識情報、行動情報、美としての情報(充足情報。歓びとしての情報)
      • 世界規模の機関(WHOとか)によって環境問題や資源問題を示すファクトを認識し(認識情報)、問題を解決できるようなインセンティブを社会が持つことが出来るような構造を設計する(行動情報)(例えばフルコストプライシングの考え方)。これらは手段としての情報、効用としての情報。
    • 3つ目の情報は、それ自体歓びであるような情報。「これほどに多くの外部を(自然と他者とを)、収奪し解体することを必要としてはいないのだということを、見出すはずである。ほんとうはこのような自然と他者との、存在だけを不可欠のものとして必要としていることを、他者が他者であり、自然が自然であるという仕方で存在することだけを必要としているのだということを、見出すはずである」
      • このあたりは、『社会学入門 - 人間と社会の未来』で深堀りしているように思える。

感想

  • 1996年の本でだいぶ古いが、内容的には現代でもしっかり通用する内容で、学びが多かった。現代社会(消費資本主義とそれが生み出している問題)に対する一つの大きなものの見方(ヴィジョン)を獲得できたので、★4とした。自分が生きる上での生の指針のようなものに直接影響を及ぼしたわけではないので★5はつけられなかったが、★4.5くらいの衝撃はあった。 その後、考え直して★5とした。脳内で頻繁にこの本に書かれていた内容を引っ張り出す機会があり、評価が高まった。
  • 現代の社会はこういう形で成り立っている、というものからスタートして、それが環境/資源の問題や南北問題、南北それぞれの貧困とどうつながっているのかをエレガントに示している。
  • 環境問題や人口のあたりとかはちょっと古い情報だと思うので、最近の情報は知っておきたいなという気持ちになった。
  • 四章で述べられている内容、現在の世の中を見ていると、たしかに可能な社会だという気持ちになってくる。
    • 例えば Youtuber への投げ銭みたいに、他社とのつながりを感じて充足するために"消費"を行うことが昔よりも当たり前になってきていて、モノにとらわれなくなってきている。また、SDGsが標榜されていて、色々と意識を変えていこうという雰囲気が見られる。代替肉の研究が進んだりしているし。
    • これが1990年代に書かれているというのは本当にすごいなと思う。
  • これを読んでいる間に、見田宗介さんが今年4月に亡くなられていたことを知った。見田宗介さん、素晴らしい本をこの世に遺してくださり本当にありがとうございました・・・!『時間の比較社会学』を読んだ前後で私の人生は本当に大きく変わりました。こんな本には二度と出会うことはないのではないか、とすら思っています。安らかにお眠りください。

単語

  • 奢侈(しゃし):必要な程度や身分を越えたぜいたく。
  • 不羈(ふき):束縛されないこと。他から押さえつけにくいこと。

to where?

  • 他のまだ読んでいない見田宗介さんの書籍。
    • 現代社会はどこに向かうか-高原の見晴らしを切り開くこと』