感想
- ここ30年(書かれたのは2000年なので、これを自分が読んだ今となってはもう50年となる)で急激に日本特有の身体感覚が失われてしまっているというのはわかるし、それが文化的損失であるという話もわかる。しかし、その身体感覚を当時のような生活様式を失った現代に、教育カリキュラムに盛り込むような方法で復古させる必要性というのはあまりピンと来なかった。
- というのも、文化的価値があるとみなすのであればそれはあくまで知識や体験として学べばいい(身体感覚として身につけるほどではない)し、実益に焦点を合わせるのであれば、現代様式にあった身体感覚を自然な形でインストールする方向に倒したほう良いように感じるからだ。
- 「身体感覚を取り戻す」というタイトルだが、身体感覚を取り戻すための実践方法を具体的に書いているわけではなく、かつての日本人が有していた身体感覚とはどのようなものなのか?というところが重点的に語られているような印象を感じた。
- 呼吸法の訓練方法や能の動きを取り入れた訓練法も紹介されてはいるが、あくまでイメージを深めるための紹介のような感じだった。
- なので、「そういう身体感覚が重要なのはわかる!でも現代人である自分はその身体に対する豊かな感覚をどのように獲得すればいいのだろう?」という気持ちになった。他の書籍を読んでいくしかなさそうだ。
- 身体への感覚がまるっきり閉ざされている人がこの本を読んでも、神秘主義的なもの、オカルト的なものとの区別がつかないだろうし、事実自分も「よくこういう話を他でも聞くし、この作者も一定の社会的信頼を得ている人だし、おそらくそういう世界があるというのは確かなのだろう。」みたいな受け取り方をしている。
- 日本独自の古来から伝わる身体感覚に対する関心はそこまで高くないが、身体の使い方を幼少期にしっかりと学ぶのは重要だろうと感じられた。少なくとも何か1つのスポーツ(スポーツじゃなくても良いが、身体を使って道を極めるようなもの)にしっかりと取り組み、身体と対話してフィードバックサイクルを回すような経験は、大学受験の勉強をする前までの若い時期に経験しておけると良さそうだと感じた。頭と身体それぞれを、一定以上の水準で研ぐ訓練を大学入学までに経験して自分の中で座標を作っておき、以後の人生はそれを土台に練り上げていくイメージ。
- もちろんこれは、体育会系でしごかれる経験をしておくべきみたいな話では全くない。一人でひたすらクライミングをやっていても良い。自分の身体と対話をして身体への感覚を研ぎ澄ますことが重要なので。
ピックアップメモ
- p115
暗誦した古典は、いわば土に埋められた宝石である。それが人生の節々でとりだされ、輝きを放つのである。暗誦をしていない文は、それを学習したときに意味をどれほど理解していようとも、こうした埋蔵された宝石にはならない。自分の身の内にどれほどの宝石が埋められているかは、その後の人生を豊かに過ごす上でとりわけ重要な意味をもってくる。
暗誦することの軽視は、数十年の人生のスパンで学習の意味を考えない態度からきている。幼いころの暗誦は、いわば表面にあらわれない地下の水脈のようである。それは通常は表にあらわれないが、時折、表面に湧き出しては身を潤してくれる。
to where?
- 漢文や漢詩、古文の本。暗誦したい。