どんな本?
- 劇作家サミュエル・ベケットによる戯曲。1952年初版。
感想
- デカルトは「我思う、故に我あり」と言ったが、エストラゴン(ゴゴ)とヴラジーミル(ディディ)は考えないために話している。
- 考える行為が"今"だけでなく抽象的な概念である過去や未来を生み出すことを考えると、彼らが昨日明日の区別を明確に持たないのもうなずける。気がする。
- 考える主体としての自分、が失われたとき、何が自分という存在を支えてくれるのだろうか?
- ゴゴとディディはお互いの存在を拠り所にしているように見える。
- 熱い抱擁を何度もするのもそうだし、どこかに行くと宣言しても一人で去らないのもそうだし、自殺を試みるのも一緒に行うのもそう。
- デカルト的価値観とは異なり、関係性が自分を自分足らしめているように見える。
- そんなゴゴとディディのような時間を過ごしていたからと言って、それが悪い人生というわけでも無さそうだなと思った。
- ラッキーはポッツォから支配されており支離滅裂な論理展開をするが、この劇に出てくる人物の中で自分が最も近いのはラッキーだよな、とも思ってしまった。資本家と論理的思考の奴隷、答えを見つけようと自分の頭の中で理屈をこねているが端から見たら滑稽そのもの・・・。
- ざっと一回読んだだけだが、読めば読むほど、そしてこの本について考えれば考えるほど、面白さが味わえそうだ。
- 読んでいる間は面白さを別に感じないが、解釈する時間、感じたことを言語化する時間はとても面白い。
to where?
- 特に無し