どんな本?
- 明治時代の厳しい社会を、現代の我々の置かれた状況と対比しつつ紹介していく。
メモ
--- それを阻止するために、薩摩藩の大久保利通や公家の岩倉具視により軍事力で京都御所の門を封鎖し、慶喜の勢力を御所周辺から追放した。そして、王政復古の大号令を天皇の名で発した。
- p71
人が貧困に陥るのは、その人の努力が足りないからだ、という考え方のことを、日本の歴史学界では「通俗道徳」と呼んでいます。この「通俗道徳」が、近代日本の人びとにとって重大な意味をもっていた、という指摘をおこなったのは、2016年に亡くなった安丸良夫さんという歴史学者です。
安丸さんは、勤勉に働くこと、倹約をすること、親孝行をすることといった、ごく普通に人びとが「良いおこない」として考える行為に注目します。これといった深い哲学的根拠に支えられるまでもなく、それらは「良いこと」と考えられています(だから、それは「通俗」道徳と呼ばれます)。
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・・・人びとが通俗道徳を信じ切っているところでは、ある人が直面する問題はすべて当人のせいにされます。ある人が貧乏であるとすれば、それはあの人ががんばって働かなかったからだ、ちゃんと倹約して貯蓄しておかなかったからだ、当人が悪い、となるわけです。
安丸さんは、こうした通俗道徳の考え方がひろまったのは、江戸時代の後半であると言っています。江戸時代の後半に市場経済がひろがり、人々の生活が不安定になったときに、自分で自分を律するための基準として、こうした思想がひろまったというのです。
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一方、江戸時代の人びとは、まだ、完全に通俗道徳のわなにはまり切っていたわけではありません。
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江戸時代の人びとが、通俗道徳一本やりでなくてもなんとかやって行けた理由の一つは、江戸時代の社会が、集団を基本に形づくられていたからです。
ある人間が怠けていても、ほかの人がカバーしてくれる仕組みが、集団の中には埋め込まれていました。
- 共同体が解体され、個人主義が色濃くなっていく。日本ではこういう形で民衆意識の近代化が進んでいったのだなぁ。
- p111
ここでいう「家」は現在の私たちが考える「家族」とはすこし違います。
江戸時代以降、農民、町人、職人のあいだで広まった「家」という制度は、生産や販売の組織でもあり、消費組織でもあるような、人びとのつながり方です。
この辺りは、過去に読んだ柄谷行人『世界共和国へ: 資本=ネーション=国家を超えて』を読むとより理解が進む。日本に固有の話ではない。
longtime1116.hatenablog.com
感想
- 世界史を色々学んだ上でこの本を読んでいるため、日本の近代化は「たまたまそうなった」わけではなく、欧米の近代化と同型の変化をしているのだということがよくわかって面白い。
- 廃藩置県が重要な歴史上のイベントだということが、解像度高く理解できて面白かった。
- 藩という軍事力も有していたであろう各地方勢力の名残りがある状態で軍事クーデターによって成立した明治政府が、そのまま日本を統治し続けることができたのはおどろきだと思った。
- また、今の日本で軍事クーデターが成功することはまずあり得ないなと思った。軍事力を既に国が中央集権的に有しているため。
- 現代も生きづらいが、それでも先進国の人間の価値観のアップデート(及びそれによる制度の進化)のおかげもあり、生きやすくはなっているんだなぁと感じる。ただしそれは、心理的な側面というよりは、病気になりにくいとかそういう物理的な側面で生きやすくなっているという話であり、下層の人々の生きる苦しみはいつだって本物だし、比較できるものではない。
from where?
to where?
- 明治・大正あたりの激動の日本の中で活躍した日本人の話は、色々と読んでみたい。