学びの糸を紡ぐ

自分なりになにかを身に着けていく過程をまとめたり、記録しておきたい心情を残したり。

立花隆『臨死体験』を読んだ(上下巻)

どんな本?

  • 「科学はどこまで臨死体験の核心に迫りうるのか。生物学者や神経学者は、様々な実験や仮説によってそのメカニズムの解明に挑み、成果をあげてきた。しかし、なお謎は残る。蘇生した人々はなぜ、本来、知るはずのない事実を知ってしまうのだろうか…。構想、取材、執筆に五年。発表と同時に大反響を呼んだ著者渾身の大著。」amazonより。

感想

  • 豊富な実体験のインタビューが載っており、それに対して筆者が科学的に解明できる部分とそうでない部分をああでもないこうでもないと検証していく感じの本だった。文庫本で1000ページにも及ぶ大作だが、文章は非常に読みやすく引き込まれるので、スイスイ読めた。
  • 立花隆が書いているからこそ安心して読めるが、全く無名の誰かが書いていたら、上巻の途中で「なんか怪しいスピリチュアル本感あるかも・・・」と読むのを辞めてしまったかもしれない。
    • そういう意味では、こういう信頼・実績のある人にしかできない仕事のように思った。とんでもない量の取材、分野横断的な知識を前提とした鋭い考察なども含めて、立花隆だからこそ書けた本だという印象がある。読めることに感謝。
  • 読む前に「こういう内容が知りたい」と思っていたことがまさに書いてあった。満足度120%。
  • 臨死体験が脳内で起きることなのか、観測できない別種の現実で行われていることなのか、それはわからない。しかしとにかくどちらの場合でも死に対して恐怖を抱かなくて良いのだという気持ちになれたのは、本当に大きい。読んで良かった。
    • 前者の場合は死へのプロセスに対する恐怖からの解放、後者の場合はそれに加えて死後の世界に対する恐怖からの解放ももたらす。どちらの可能性もあり得るが、どちらにせよ安心していいのだ!
    • もちろん、死の直前のプロセスへの恐怖はかなり減ぜられたが、もうちょっと前段階のプロセス(健康寿命が終わってから臨死体験するほど死に直面するまでの間)への不安は残っている。ここに対する向き合い方については今後も考えていく必要がある。
  • 臨死体験につながるプロセスとして、脳の低酸素状態で説明できる部分も一部あるので、そのような形の死に方をしたいものだ。電車への飛び込みとか、脳が一瞬で四散するような死に方はしたくないと思った。
  • 死に隣接したくはないが、人生パノラマ回顧や体外離脱、全てを理解したという感覚などは体験してみたい。しかしよほどのことがない限りは死ぬ瞬間まではお預けだろう。

その他メモ

  • 臨死体験で体験する内容は文化ごとに大きく異なるが、その文化の中ではかなり共通する事項が多い。また、人生観にポジティブな影響を与えたり、幸福を感じたりするという点では、文化問わず共通している。
  • ブッダやキリストのような「神のお告げ」を聞いた者は、臨死体験に近い体験をしたのではないかという通説があるというのはなるほどなと思った。
    • 彼らが宗教を立ち上げ、世の中の多くの人々がその影響を一定受けるようになり、人々の臨死体験の内容にそれが反映されてしまうようになったのだろう。それゆえ、彼らのような宗教家はその時代以降生まれてこないのかもしれない。
    • 「修行の末に悟りを得る」といった話が信じられ、実践する者が多く存在する。もしもそれがまるっきり嘘だったらそのような教えがここまで世界に影響力を与え続けることは難しそうに思える。臨死体験を語るものが一定いるからこそ、説得力が生まれ、宗教はどこかの時代で影響力を失わずに済んだのかもしれない。
  • 水晶を見たら何かが見えるとか、意図的に過呼吸状態を維持することでトランス状態に入るとか、そういうことを実際に再現できるというのは興味深かった。オカルトやスピリチュアルのカテゴリに属しそうなものを嘘だと一蹴するのではなく、まずそういう発言をする人が一定数いるのだという事実を受け止めた上で、実践してみたり科学的な説明を試みたりするのは、真に科学的な姿勢だなと感じた。

from where?

  • 兼ねてから臨死体験というものがあることは知っており、どこかのタイミングで本を読みたいと思っていた。
  • たまたまブックオフでこの本が上下それぞれ110円で売られているのを見つけ、あの立花隆が書いてあるならトンデモスピリチュアル本というわけでもなさそうなので、買って読んでみることにした。

to where?

- 本の中で紹介されていて、面白そうだった。寺山修司には一度も触れたことがなかったので、ちょうどいいかと思った。