学びの糸を紡ぐ

自分なりになにかを身に着けていく過程をまとめたり、記録しておきたい心情を残したり。

寺山修司『青少年のための自殺学入門』を読んだ

どんな本?

  • 「死ぬ自由くらいは自分で創造しよう。死の音楽、死神占い、死と賭博等の考察から、自殺機械の作り方、上手な遺書の書き方、動機の立て方、場所の選び方、自殺のライセンスまで、死と真面目に戯れ、方法化し、受け身の死を排し、“充分に生きるために”死の確固たる思想を打ち立てることを軽妙な筆致で提唱する、寺山版〈自殺マニュアル〉。」amazonより。

感想

  • 全体としては特別心惹かれるというわけではなかったが、ところどころグッと来る箇所があり(下のピックアップメモに書いたような内容)、満足感は高かった。
  • 時代性を感じた。その時代に生きているからこそ深く理解できるんだろうなと思う文章もあったが、それでもその文章を通じて伝えたいこと自体は、そういうコンテキストを超えて刺さるものがあった。たまたま大澤真幸『不可能性の時代』を同時に読んでいたおかげで、読みやすかったように思う。
  • 全体としてはそこまで印象に残らないが、ところどころ力強くグッと来る箇所があったので、★★★★☆とした。

ピックアップメモ

  • p63

自殺が美しいとすれば、それは虚構であり、偶然的だからである。ぎりぎり追い詰められた中小企業の経営者の倒産による自殺は、自殺のようにみえるが実は、"他殺"である。膨張しすぎた資本主義社会の歪みから出てくる自殺は、自殺いかんを問わず他殺であるから、私の<自殺学入門>のカテゴリーからはみ出す。私は、自分が死に意味を与えることのできるような偶然的な自殺だけを扱ってゆき、もっとたのしみながら、自殺について語りたいと思うのだ。

なるほど確かにそれは他殺として扱った方が自然である。
仮に自殺願望が湧いたら、それが実質的に他殺でないか検討しよう。他殺ならば逃げて然るべきである。

  • p70

家庭は幸福で、経済的にも充足しており、天気も晴朗で、小鳥もさえずっている。何一つ不自由がないのに、突然死ぬ気になる。—という、事物の充足や価値の代替では避けられない不条理な死、というのが、自殺なのであり、その意味で三島由紀夫は、もっとも見事に自殺を遂げたことになる。自殺はきわめてブルジョア的なものであるということを知ることから始めない限り、"何者かに殺される"のを、自殺ととりちがえているのに変わりはない訳である。

真に自由意志で死ぬことこそが自殺である。それは必要に迫られて行う自殺とは区別されなければならない。
ちょっとズレるが、自分はこのような恵まれて充実した環境で死のうとは思わないだろうが、仕事(お金をもらって働くこと)はしたいと感じている。生きるために必要に迫られて行う労働を、真に自由意志のもとで行われる労働を区別し、後者をおこないたいという欲求がある。

  • p73

"一人で生きる"ことがむなしいように、"一人で死ぬ"こともまたむなしい。パートナーを選んで自殺することは、二人で、"同じ夢を見る"ことだ。
・・・
私は心中が好きだが、それは並の自殺よりも贅沢だからである。

自分のおそらく叶わぬ(しかし強い)願望として、いつか年老いたら妻と同じ場所で同時に死にたいというものがある。
しばしば妻に話し、共感を得て、二人揃ってしみじみしてしまう。
この死は自殺ではあるが真にポジティブなものであり、まさに他殺とは区別されるようなものだと感じる。「贅沢」という表現は言い得て妙だ。

  • p97

引用はしないが、3人の家出少年少女に対するインタビューが、ほとんど口にされた表現そのままという感じで掲載されている。
時代は違えど若者は若者で、思い悩み、自分なりに考え、必死に生きているんだというのが伝わってきて、印象的だった。
インタビューというのは綺麗に整形されて残されるのが通例だが、敢えてこのような形で残すと、全く違った価値が生まれるのだなぁと感じた。
読めて良かった。

from where?

  • 立花隆臨死体験』で紹介されていて、読んでみることにした。寺山修司の作品には一度も触れてこなかったので、良い機会だと思った。

longtime1116.hatenablog.com



to where?

  • 特になし。