学びの糸を紡ぐ

自分なりになにかを身に着けていく過程をまとめたり、記録しておきたい心情を残したり。

トルストイ『イワン・イリッチの死』を読んだ

どんな本?

感想

  • 仕事で自尊心を満たし、家庭は社交する他者に見栄えよいものとして虚栄心を満たし、それに満足して生きてきた男が、死の際に「本当のもの」を探し、ついに見つけたという話だと感じた。
  • イワン・イリッチは「本当のもの」だと思ったものを見つけた直後に死んだので満たされたかもしれないが、死ぬもっと前、病気になる前にもしそれに気づいていたら、また別ないろいろな問題に直面していたのではないかなと思った。そういう意味では、イワン・イリッチがこのような境地に達したのと同時に死ぬことができたのは、ある意味非常に幸運なことだったのかもしれない。非常にレアな形の救済だったのかもしれない。
  • 自分は別に仕事に邁進してそれを喜びとしているわけではないし、自分や家族が外からどう見られるかを気にしているわけではない。世の中的な価値観を自分の中心に据えないように心がけて生きている・・・と思っている。なので、このイワン・イリッチの苦悩をみて「そりゃそういう苦悩が現れるよなぁ」という思いが強かった。
  • 死の際でも意味を失わない、信じられる思想を築いていきたいという気持ちがあるのだが、↓p62を見るとよりいっそうそう思った。
  • もしかしたら、ロシア文学を読んだのはこれが初めてかも?似たような長たらしい名前が多く、メモしながら読んだらとても読みやすくなってよかった。

気になった表現ピックアップ

  • p22「彼は自分の自由になるこの種の人間に対して、ていねいな、ほとんど友達同士といっていいほど、うちとけた態度を見せるのを好んだ。つまり、生殺与奪の権を持っている自分が、友達のようにざっくばらんな応対をしている、と感じさせるのが好ましかったのである。」
    • こういう、人を外側から見ていても決して観測できないが、内側から見るとたしかに存在している人間の感情を、ぐいと引っ張り出して白日にさらしてしまう感じがとても気持ち良い。
  • p40「勤務上の喜びは自尊心の喜びであり、社交上の喜びは虚栄心の喜びであった。しかし、イワン・イリッチの本当の喜びは、カード遊びの喜びであった。」「勝負のあとで、ことに少しばかり勝った時(勝ちが大きすぎると不愉快だ)、イワン・イリッチは格別いい心持ちで床につくのであった。」
    • 勝ちが大きすぎると運で勝ったと思ってしまうが、少し勝った場合は自分の実力で勝ったと思えて、友人たちよりも自分が優れているという気持ちになれて自尊心が満たされるんだろうなぁ。
  • p42「プラスコーヴィヤ・フョードロヴナはこの抑制を自分の偉大なる勲章であると考えた。夫が堪らない気むずかしやで、自分の生活はめちゃめちゃにされたと決めてしまうと、彼女は自分で自分を憐れみはじめた。自分で自分を憐れめば憐れむほど、彼女は夫が憎くなってきた。彼女は夫の死を願いはじめたが、しかし、それは願い得られないことであった。そうなれば俸給が入らなくなるからであった。そう思うと、彼女はいよいよ憎しみのためにいらいらした。夫の死さえ自分を救うことができないのか」
    • 清々しいほどに自分のことしか考えていない。お互いに愛よりも社交的な意味での虚栄心を満たすために結婚している面が強い、というのも大きいんだろうな。社交している他の登場人物も似た雰囲気の印象がある。ゲラーシム(百姓の食堂番)だけがイワン・イリッチの心を慰めるのは、偶然ではないのだろう。
  • p57「いや、問題は盲腸でもなければ、腎臓でもない、生きるか・・・死ぬるかという問題なのだ」
  • p62「彼はこの思想の代りに、ほかの思想を順番に呼び出して、その中に支柱を見出そうと願った。以前かれの目から死の想念を蔽ってくれた考え方、そういう考え方に戻ろうと努めた。」
  • p73「彼は、病気の子供でも憐れむようなぐあいに、誰かから憐れんでもらいたいのであった。」
  • p96「以前まったく不可能に思われたことが、今ふと彼の心に浮かんだのである。つまり、今まで送ってきた生活が、掟にはずれた間違ったものだという疑念が、真実なのかもしれないのである。社会で最高の位置を占めている人々が善と見なしていることに、反対してみようとするきわめて微かな心の動き――これこそ本当の生活なので、そのほかのものはすべて間違いかもしれない、こうした考えが彼の心に浮かんだのである。勤務も、生活の営みも、家庭も、社交や勤務上の興味も――すべて間違いだったかもしれない。彼はこれらのものを、自分自身にむかって弁護しようと試みた。しかし、とつぜん、自分の弁護しているものの脆弱さを痛切に感じた。それに、弁護すべきものすら何もなかった。」
  • p100「それ三日目の終わりで、死ぬ二時間まえのことであった。ちょうどこのとき、小柄な中学生がそっと父の部屋へ忍び込んで、寝台のそばへ近寄った。瀕死の病人は絶えず自暴自棄に叫び続けながら、両手をふり回していた。ふとその片腕が中学生の頭に当たった。中学生はその手をつかまえて、自分の唇へもってゆくと、いきなりわっと泣きだした。ちょうどその時、イワン・イリッチは穴の中へ落ち込んで、一点の光明を認めた。そして、自分の生活は間違っていたものの、しかし、まだ取り返しはつく、という思想が啓示されたのである。」「「連れて行け・・・可哀そうだ・・・お前も・・・」彼はまた『許してくれ』と言いたかったが、「ゆるめてくれ」と言ってしまった。そして、もう言い直す力もなく、必要な人は悟ってくれるだろうと感じながら、ただ片手をひとふりした。すると、とつぜん、はっきりわかった――今まで彼を悩まして、彼の体から出て行こうとしなかったものが、一時にすっかり出て行くのであった。四方八方、ありとあらゆる方角から。妻子が可哀そうだ、彼らを苦しめないようにしなければならない。彼らをこの苦痛から救って、自分ものがれねばならない。『なんていい気持だ、そして、なんという造作のないことだ』」

to where?

  • 特に今のところはなし。米川訳のトルストイはとても読みやすかったので、他にも読んでみてもいいかも。