学びの糸を紡ぐ

自分なりになにかを身に着けていく過程をまとめたり、記録しておきたい心情を残したり。

見田宗介『現代社会はどこに向かうか ― 高原の見晴らしを切り開くこと』を読んだ

感想

  • 見田さんの本であるがゆえ、相変わらず読んでいて非常に気持の良い文章だった。
  • ロジスティクス曲線を人間に適用して考えたときにII期からIII期への転換はどのようになされるか、理論的な面からだけでなく人々の意識や行動の面からもアプローチしていくアンソロジーのような本だった。
    • III期を無意識的に望む人類の意思の胚胎が人々の意識や行動のうちに見出せることが示され、希望が湧いてくる。
  • 他の見田さんの書籍(例えば『時間の比較社会学』『現代社会の理論』『まなざしの地獄』等)を読んでいたため、この本で言わんとしていることがとてもよく理解できた。

ピックアップメモ

p109
徹底して合理主義的なビジネスマンとか受験生などの典型像に見られるように、未来にある目的のための現在の生の手段化という時間の回路は、他者との交歓とか自然との交感から来る目的の生のリアリティを漂白するが、この空虚は未来の「成功」によって十分に補うことができるので、空虚感に悩まされることはない。

まさに「未来の「成功」」を追求するモデルの限界を感じたことが、『時間の比較社会学』によって「時間の回路」を組み替えられ前進する契機のひとつとなった。

p127
こんなことをいうと、何をおまえは仙人みたいなことを言っているのだ。おまえが経済にあまり関心がないのは、たんにおまえが生存のための物質的な基本条件を一応は確保できているからにすぎないだろう、という批判の声が聞こえる。この批判は正しい完全にそのとおりである。

わかる・・・。
『時間の比較社会学』を読み、「コンサマトリーな現在を生きるのだ!未来は現在を豊穣化させるものとして捉えるのだ!」みたいなことを強く思ったが、とはいえこれは他の多くの人には刺さらないんだろうなぁと思っていた。

自分の場合は、以下の2つを満たしたことでこの世の中を安心してサバイブしていけるだろうという展望を持つことができた。

  • ビジネスマンとしての市場価値に自信が持てるようになり、もし会社から放り出されても何かしらそこそこ恵まれた職は見つけることができるだろうと思えるようになった。
  • 家庭でのライフイベントが一通り終わり(家の購入や出産等)、生活に関する将来の不確実性がほとんど削減された。

その結果、今までは頭の片隅に置いておいた抽象的な(プラクティカルとは到底言えない)問題の優先度が上がり、それらが深刻な問題と捉えられるようになった。
そのような状態だったからこそ、『時間の比較社会学』が刺さった。
真木悠介『時間の比較社会学』を読んだ - 学びの糸を紡ぐ

p128
立ち止まって基本を固めておくと、基本的な生活のための物質的な条件の確保ということは、もちろん、何よりもまず必要なことである。そのために経済発展ということはある水準までは必要であった。現在でも世界の多くの貧しい国々では、必要である。また、豊かな先進産業諸社会の中にも今なお飢えている人々もいる。「熱いラーメン」も食べられない人びとである。けれども後者の、「豊かな社会」の内部の飢えている人びとに関していえば、それはほんとうは、これ以上の経済成長の問題ではなく、分配の問題である。分配の問題を根本的に変革しないで、いくら成長をつづけても、富はそれ以上の富の不要な富裕層にぜい肉のように蓄積されるだけで、貧しい人びとは、いつまでたっても貧しいままである。
計算してみれば分かることだが、日本を含む先進産業諸社会においては、まずすべての人びとに、幸福のための最低限の物質的な基本条件を配分しても、なお多大な富の余裕は存在している。この巨大な余裕部分にかんしては、経済ゲームの好きな人たちは、いくらでもシェアを争って、自由な競争をしたらいいとわたしは考えている。肝要のことは、経済的不平等の完全な否定とか、格差の消滅ということではなく、すべての人に、幸福のための最低限の物質的な条件を、まず確保するということである。

これは自分にとって非常に共感できるところであり、何かしらの形で自分の次の職場探しに大きな影響を与える予感がしている。


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  • 他の見田さんの本。