所感
- 相変わらず良かった。特に序章と結章は何度読んでも良い。
- 第4章、二度目だがかなり難しい部分があってまだ十分に理解できたとは言えない。プルーストの引用の箇所、理解できないことが多い。
メモ
p13
第一に、抽象的に無限化されてゆく時間関心。そして第二に、帰無してゆく不可逆性としての時間了解。
この二つを前提とする限り、虚しいという観念を避けられない。
人生の意味も歴史の意味も未来のうちに疎外されてゆき、すべての生きられた過去も現在も未来も、限界を失った時間のかなたの虚無にその意味を霧消してゆくほかないから。
- 前者:「抽象的に無限化されてゆく時間関心」
- 今やっていることの意味が未来に外化されていて、無限に先の方に関心があるということ。
- 空間的に無限であることに対しては虚しさを覚えないが時間的に無限なことに虚しさを覚えるのは、不可逆であるから。しかし、時間と共に堆積していく喜びを実感できるなら虚しくはないはず。虚しいのは帰無していくものだという意識があるから。
- 後者:「帰無してゆく不可逆性としての時間了解」
- 不可逆ではない時間了解というものも存在する。同時にあるという感覚。ザマニ。
- 個人的なビジュアルイメージとしては、自分が踏んだ場所が崩れていく階段みたいなイメージを持っている。
- 前者も後者も当てはまるケースの例
- 未来のために頑張るが、どうせ死ぬから虚しい。ニヒリズム。
- 前者が当てはまるが後者が当てはまらないケースの例
- 未来のために今を犠牲にして頑張るが、過去やり切ったことを思うと充実して満足。
- 禁欲主義的な生き方。死ぬ直前に未来のために頑張る何かがなかったら満たされない。死ぬ直前までに達成できなかったものは成果にならず虚しい。
- 前者は当てはまらないが後者は当てはまるケースの例
- 今を楽しんでもどうせ死ぬんだという感覚。
- あるいはどうせ死ぬから今を楽しもう。刹那主義。
- 自分が連続しているという実感が持てないケース。
- どちらも当てはまらないケースの例
- 今を充足させるために生きる。未来は現在を豊穣化させる手段に過ぎない。
- 今を充足させて生きているので、常に幸せで禁欲的でない。いつ死んでも虚しさはない。
p68
われわれからもことがらからも自立してあらかじめ存立している、抽象的に客体火された「時間」の概念を前提とするからである。
物象化!
p221
無数の幸福な時間たちのいわば、ゲゼルシャフト的に拡大する集列性。それはひとりの人間に数十の多様な役割の演技を求め、一日のうちに百もの顔つきを引き出す近代の市民社会の要求へのみごとな適応である。
- たとえば仕事に何を求めるか?を考えるとき、{家庭の一員, エンジニア, ビジネスパーソン, 社会の一員, ...}として仕事に何を求めるか?ということをそれぞれ考えることができる。
- そして、それらの方向性が無矛盾であること、総体として大きな identical な自己を感じられること(まさに identity!)を、自分は大事にしてきた。
- ここに記述されている内容は、まさにそのようなことを表現しているように見える。近代理性を幸せに生きようとする者の必然だったということだ。
- XXとしての自分、というものは自分が関わる集列するゲゼルシャフトの数だけ存在するのであるから、単一の共同体に属していた頃にはあり得なかった捉え方なのである(「家庭の一員」は唯一?ゲマインシャフト的であり、それゆえ性質が異なるのも頷ける)。