気になったところピックアップ
- 生物は、はじめは少しずつ増殖し、ある時期急速に爆発的な増殖期を迎え、その環境容量の限界に接近すると再び増殖を減速し、やがて停止して安定平衡期に入る。失敗する種は、安定平衡期に入るのに失敗し、滅亡に至る。(生物学におけるロジスティック曲線の説明)
- 人類も同様の道のりをたどっており、環境資源を過剰に消費し続けると滅亡に至るだろう。
- 人類は今まで限界に到達するごとに仮の無限化を通じて成長を続けてきた。未開の地の侵略だったり、情報による消費の自己創出だったり。
- しかし地球という資源は有限なので、どこかで限界が来る。
- 開発と発展のために自然を無限のものと捉え「征服」する時代から、環境容量を有限と捉え安定した生存の持続のために「共生」する世界へ。
- 「近代の思考の慣性の内にある人たちにとっては、成長の完了したあとの世界は、停滞した、魅力の少ない世界のように感覚されるかもしれない。けれども経済競争の脅迫から解放された人類は、アートと文学と思想と科学の限りなく自由な想像と、友情と愛と子どもたちとの交歓の限りなく豊穣な感動とを、追求し、展開し、享受し続けるだろう」
- また、↑のような人類の次のステップにいくにあたり、筆者は補章で交響するコミューンの連合体という形を示す。
- 他者の両義性。すなわち、生きるということの意味と歓びの源泉である限りの他者と、生きるということの困難と制約の源泉である限りの他者。
- 前者は、個々人の自由を第一義として前提し、この上に立つ交歓だけを望ましいものとする、交響するコミューンという形で実現する。同質性ではなくむしろ異質性を積極的に享受する関係性。
- 後者は、コミューン同士の関係にミニマルなルールのシステムを整備することで、自由を保証し乗り越える。
- 個々人が選択し、脱退し、移行し、創出するコミューンを築くには、それらを自由に行えることが保証されている必要があり、そのためにはコミューン相互の間の関係の協定、すなわちルールのシステムが必要になる、という整理。
- 「現実的には、交響するコミューンの具体的な形は、その大半が「家族」という集団の形式を取るだろう。」ただし、家族ではない形態であっても良いと考える点で、原理的にラディカルな地平に立っているといえる。
感想
- 社会学の入門書というよりは、見田宗介/真木悠介入門という印象を受けた。
- 近代から現代に至るにあたり、社会はどのように変化してきているか、最近発生している事象はどういう構造のもとで発生したのか?等をエッセイ的にまとめているように感じた。
- ↓にまとめているように、発見はあった。が、『交響するコミューン』や『自我の起源』の方に本格的に書かれていそうなので、はやくそれらを読みたくなった。
- 6章ではマクロの視点から人類の近代と現代のフェイズを解釈しているところが鮮やか。人類はたまたまこのような歴史を経ているわけではなく、ある種必然的にこうなっているんだなぁという気持ちになった。
- 「成長の完了したあとの社会」を生きたすぎる・・・!!
- 交響するコミューンの連合体、に至れるかどうかは非常に難しそう。
- 人間はついつい同質性を拠り所にグループを作るので、そもそもどうコミューンを形成するのだろうか?
- やはりそこには何かしらの同質性が求めらるだろう。
- 一定の同質性のなかで異質性を認めるコミューンがあり、ミニマルなルールで「一定の同質性」ごとに作られたコミューン同士が連合する、みたいな感じ?
- コミューン内で異質性を認める下地があるから、他コミューンの異質性も認められる、ということだろうか。
- どこまでいっても同質性を出発点にしている以上ついつい異質なものを排除しようという重力が生まれてしまいそう。どうやって異質性を尊ぶ重力を生み出せばいいのだろう?というところが難しいところ。
from where?
- 『時間の比較社会学』を読んで、同作者の本を色々と読んでいこうと思った。それがかなり骨太だったので、ちょっと簡単に読めそうなこの本を先に読もうかなと。
to where?
- 『現代社会の理論: 情報化・消費化社会の現在と未来』
- 『社会学入門』の前著らしい。
- longtime1116.hatenablog.com