どんな本?
- 共感は世の中で自明に重要視されることが多いが、本当にそうなの?そんなことないよ?と力強く一石を投じる。
サマリー
- 筆者は共感を、情動的共感と認知的共感に分ける。
- 情動的共感はミラーリング、つまり相手の感情を自分も感じるように努める行為。
- 認知的共感は、感情的になること無しに他者の視点で物事を捉える行為。
- 情動的共感を道徳的な問題や公共政策に用いることは悪影響をもたらすので辞めるべきだと言う。
- なぜなら、情動的共感はごく一部の人間にスポットライトを当ててしまううえ、スポットライトが当てられる対象はその人がつい味方してしまいたくなる側になりがちだからだ。
- 自国と他国の人間がいたとき、つい人は自国の人間に共感をする。そして、正義感から他国を攻撃する。共感の心を養えば暴力が消えるというのは幻想である。
- 一方、認知的共感は中立的な存在であり、善きことに用いれば有用だが、悪用される危険性もある。使い手次第。
感想
- 筆者の意見にほとんど全面的に賛同できた。
- 情動的共感に振り回される人は部分最適的な意思決定をしがちだが、認知的共感をうまく用いる人は全体最適な意思決定を追求できる。
- 自分は情動的共感に振り回されず、認知的共感を善きことに使っていきたいと思う。
- ただし、エンターテイメントを楽しむときなどは、むしろ情動的共感をフル活用することで楽しむのが良さそう。
- 以前ところてんさんの以下の記事を読んだときのことを思い出した。
- tokoroten.medium.com
- ふつうの人は情動的共感に振り回されるが、エスタブリッシュメントは理性を用いて認知的共感を適切に使える、という対応関係である。
- この記事を読んだ時、「これは完全にそのとおりだと感じるが、ある種危険な思想だ。なぜなら、自分は特別なエスタブリッシュメントだという意識のもと普通の人を断罪しているからだ。この記事のとおりに考え続けていたら謙虚さを失っていきそうだ」と感じた。
- なお、ハンロンの剃刀もそんな感じで劇薬だと感じている。
- 情動的共感と認知的共感という表現を用いると、この毒気を抜くことができる。
- 「ふつうの人」と「エスタブリッシュメント」と完全に二分すると、わかりあえない2つの人種があり溝を埋められない印象を与えるが、あくまで情動的共感と認知的共感の重要視する比率の違いによるグラデーションだと捉えることができるのである。
- そうすると、人はだれでも「ふつうの人」になりうるし、意識次第で「エスタブリッシュメント」的な振る舞いができるようになるという希望も生まれる。
from where?
- おそらく戸田山和久『教養の書』に出てきたのではなかったか・・・。
to where?
- 特に無し。