学びの糸を紡ぐ

自分なりになにかを身に着けていく過程をまとめたり、記録しておきたい心情を残したり。

河合隼雄『ユング心理学入門』を読んだ

どんな本?

河合隼雄の処女作であり、日本で最初に著されたユング心理学の本格的入門書。河合心理学の出発点がわかる本であり、後に展開する重要なテーマが数多く含まれている。著者の生涯を通じて重要な位置を占め続けたユング心理学に関する最も基本的な本。文庫化に際し、著者がユング心理学を学ぶに至った経緯を自ら綴った「序説ユング心理学に学ぶ」を併録し、「読書案内」を付した。

感想

  • ビジネスの場で行うような1on1やコーチングと、心理療法は全く違うということがわかった。前者は意識にのぼってきたもののみを扱うが、後者は無意識を射程に入れている。
  • 夢や行動から心像を読み取ったり心理の変化を洞察したりしているのだが、それが極めて職人芸的であった。
    • 6歳の子供が描いた絵を並べてみて、そこに自我が高いレベルで統合していることを読み取って感動している。
    • 言われれば確かにその通りに思えてくるが、これを発見するのは誰にでもできることじゃないだろうなと感じた。あるいは心理療法を学べば、一定程度できるようになるのだろうか?
    • そのあたりは、この次の本である『カウンセリングの実際』を読んでみたら見えてきそう。
  • 原始心像は神話のモチーフとなっていることが多い、意識下の世界は自己のごく一部である、等々の捉え方をみていると、レヴィ=ストロースユングから一定の影響を受けていたのでは?という気がしてくるが、いったいどうなんだろうか(時代的には、ユングが先なので)。
  • 臨床心理士、公認心理士の仕事は自分の興味とかなり一致していそうだなーと思って調べてみたが、資格取得はかなり大変そうだった。これだけの時間とお金を投資しても就職できるかどうかわからない & 収入も今よりは下がるとなると、厳しいものがある・・・。

ピックアップメモ

  • p249

今まで、人間のタイプや、ペルソナ、アニマ・アニムス等について述べてきたが、これらの間にはつねに相補的な関係が存在していることに気づかれたことと思う。たとえば、内向と外向、思考と感情、ペルソナとアニマ(アニムス)等は互いに他と対極をなし、相補的な性格をもっている。人間の心がこれらの対極の間のダイナミズムに支えられて、一つの全体性・統合性をもっていることは、ユングがつねに注目してきたところである。

  • 両極を取るという点ではどれも似ているが、タイプとペルソナではニュアンスが違う。タイプは両極をとってそのグラデーションのどこかに位置するという形なのに対して、ペルソナとアニマ・アニムスは両極それぞれが別個に存在しバランスをとっている、と捉えるのは興味深い。
  • 極を取って整理すれば大体うまく整理できるものだが、この極の取り方の斬新さにユングの非凡さが表れているんだろうなぁという気がした。

from where?

  • フロイトとかユングとか、全く触ったことないなーと思っていて、読んでみたいと思っていた。
  • 会社で1on1などしているが、人間に向き合うという行為を学問的に学んだことがなく、心理学を学んでみたいなと思っていた。

to where?

真木悠介『時間の比較社会学』を読んだ(2回目)

所感

  • 相変わらず良かった。特に序章と結章は何度読んでも良い。
  • 第4章、二度目だがかなり難しい部分があってまだ十分に理解できたとは言えない。プルーストの引用の箇所、理解できないことが多い。

メモ

p13

第一に、抽象的に無限化されてゆく時間関心。そして第二に、帰無してゆく不可逆性としての時間了解。

この二つを前提とする限り、虚しいという観念を避けられない。
人生の意味も歴史の意味も未来のうちに疎外されてゆき、すべての生きられた過去も現在も未来も、限界を失った時間のかなたの虚無にその意味を霧消してゆくほかないから。

  • 前者:「抽象的に無限化されてゆく時間関心」
    • 今やっていることの意味が未来に外化されていて、無限に先の方に関心があるということ。
    • 空間的に無限であることに対しては虚しさを覚えないが時間的に無限なことに虚しさを覚えるのは、不可逆であるから。しかし、時間と共に堆積していく喜びを実感できるなら虚しくはないはず。虚しいのは帰無していくものだという意識があるから。
  • 後者:「帰無してゆく不可逆性としての時間了解」
    • 不可逆ではない時間了解というものも存在する。同時にあるという感覚。ザマニ。
    • 個人的なビジュアルイメージとしては、自分が踏んだ場所が崩れていく階段みたいなイメージを持っている。
  • 前者も後者も当てはまるケースの例
    • 未来のために頑張るが、どうせ死ぬから虚しい。ニヒリズム
  • 前者が当てはまるが後者が当てはまらないケースの例
    • 未来のために今を犠牲にして頑張るが、過去やり切ったことを思うと充実して満足。
    • 禁欲主義的な生き方。死ぬ直前に未来のために頑張る何かがなかったら満たされない。死ぬ直前までに達成できなかったものは成果にならず虚しい。
  • 前者は当てはまらないが後者は当てはまるケースの例
    • 今を楽しんでもどうせ死ぬんだという感覚。
    • あるいはどうせ死ぬから今を楽しもう。刹那主義。
    • 自分が連続しているという実感が持てないケース。
  • どちらも当てはまらないケースの例
    • 今を充足させるために生きる。未来は現在を豊穣化させる手段に過ぎない。
    • 今を充足させて生きているので、常に幸せで禁欲的でない。いつ死んでも虚しさはない。

p68

われわれからもことがらからも自立してあらかじめ存立している、抽象的に客体火された「時間」の概念を前提とするからである。

物象化!

p221

無数の幸福な時間たちのいわば、ゲゼルシャフト的に拡大する集列性。それはひとりの人間に数十の多様な役割の演技を求め、一日のうちに百もの顔つきを引き出す近代の市民社会の要求へのみごとな適応である。

  • たとえば仕事に何を求めるか?を考えるとき、{家庭の一員, エンジニア, ビジネスパーソン, 社会の一員, ...}として仕事に何を求めるか?ということをそれぞれ考えることができる。
  • そして、それらの方向性が無矛盾であること、総体として大きな identical な自己を感じられること(まさに identity!)を、自分は大事にしてきた。
  • ここに記述されている内容は、まさにそのようなことを表現しているように見える。近代理性を幸せに生きようとする者の必然だったということだ。
  • XXとしての自分、というものは自分が関わる集列するゲゼルシャフトの数だけ存在するのであるから、単一の共同体に属していた頃にはあり得なかった捉え方なのである(「家庭の一員」は唯一?ゲマインシャフト的であり、それゆえ性質が異なるのも頷ける)。

柄谷行人『憲法の無意識』を読んだ

どんな本?

感想

  • ふむふむという感じで読んだ。交換様式論もわかりやすく具体例ありで説明されていて、理解が深まって良かった。
  • 憲法に関する基礎的な成り立ちみたいなのは、前半2章で終了。後半2章はより大きな話をしている感じだった。
  • メモらなかったが、ヘゲモニー国家が存在するときに自由主義になり、存在しなくなると重商主義になるというあたりも面白かった。新自由主義重商主義の同型性のあたり。
  • 歴史はn年周期になっている、的な論はちょくちょく見かける(以前読んだ『100年予測』にもあった)が、正直あまりピンとこない。たまたまでは?と思ってしまう。世代がk個変わるとこう変わるから30*k年周期、みたいな理屈だったらまぁわかるが・・・。

ピックアップメモ

  • p19

人は通常、倫理的な要求が最初にあり、欲動の断念がその結果として生まれると考えがちである。しかしそれでは、倫理性の由来が不明なままである。実際にはその反対に進行するように思われる。最初の欲動の断念は、外部の力によって強制されたものであり、欲動の断念が初めて倫理性を生み出し、これが良心というかたちで表現され、欲動の断念をさらに求めるのである。(「マゾヒズムの経済論的問題」『フロイト全集18』岩波書店

フロイトのこの見方は、憲法九条が外部の力、すなわち、占領軍の司令によって生まれたにもかかわらず、日本人の無意識に深く定着した過程を見事に説明するものです。先ず外部の力による戦争(攻撃性)の断念があり、それが良心(超自我)を生み出し、さらに、それが戦争の断念を一層求めることになったのです。
憲法九条は自発的な意志によってできたのではない。外部からの押しつけによるものです。しかしだからこそ、それはその後に、深く定着した。それは、もし人々の「意識」あるいは「自由意志」によるのであれば成立しなかったし、たとえ成立してもとうに廃棄されていたでしょう

興味深い。強く信奉してしまうようになるプロセスとして、外部からの強制という形があり得るのか。

派遣された自衛隊は平和維持活動しかしていなかったのですが、今回は、現地の人たちのほうがそうは考えなかった。ゆえに、現地で、彼らは敵意に囲まれたのです。長く秘されていたことですが、帰国後に五十四名の自衛隊員が自殺したのは、そのためでしょう。

知らなかった。

  • p42

マッカーサーはそれまで猛威をふるってきた天皇ファシズムを根絶しようとしたのですが、天皇制そのものは残そうとした。なぜなら、米国の占領に対抗する者は、それを天皇の名の下に行うにきまっているからです。そして、このような判断は、日本で政治的実験をもった者が歴史的にくりかえしてきたことです。

徳川家康もそうだし、その後の明治維新の時もそう。
それ以前もそう。

  • p71

徳川の体制はまさに秀吉の朝鮮侵略を頂点とする四○○年に及ぶ戦乱の時代のあと、つまり「戦後」の体制なのです。ふりかえると、徳川の体制は、さまざまな点で、第二次大戦後の日本の体制と類似する点があります。
第一に、象徴天皇制です。
・・・
第二に、全般的な非軍事化です。

徳川幕府が先行形態である。

  • p128

私はこのような贈与を純粋贈与と呼びます。右の頬を打たれたとき、左の頬を出すのは、見たところ、無力の極みです。しかし、ここには、互酬交換の力を越えるような、純粋贈与の力があるのです。「愛の力」といってもいいのですが、それは単なる観念ではなく、リアルで唯物論的な根拠をもつのです。
・・・
したがって、九条における戦争の放棄は、国際社会に向けられた「贈与」なのです。

ここで柄谷行人の交換様式論と憲法九条が接続される。



from where?

  • 憲法9条関連の本って読んだことがないので、読んでみることにした。
  • 柄谷行人の本を以前読み、他にも読んでみたいなと思ったので読むことにした。

longtime1116.hatenablog.com



to where?

  • ひとまず満足したのでなし。

小林正人『この星の絵の具 [中] ダーフハース通り52』を読んだ

どんな本?

  • 画家・小林正人による自伝小説。3部作の2作目。

感想

  • 2作目もとても良かった。
  • 光の捉え方、光に対する感性があまりにも自分と違いすぎて驚く。もっと自然に対して自分を開きたい、そのものの美しさのようなものを感受したいと思えた。
  • 絵を描いている間は感性100%のようだが、しかし描く前だったり描いた後の他者とのコミュニケーションだったりを見るに、しっかり言語化して落とし込んで納得しているように見えて、そのバランス感覚に驚いた。

to where?

大澤真幸『不可能性の時代』を読んだ

どんな本?

「現実から逃避」するのではなく、むしろ「現実へと逃避」する者たち―。彼らはいったい何を求めているのか。戦後の「理想の時代」から、七〇年代以降の「虚構の時代」を経て、九五年を境に迎えた特異な時代を、戦後精神史の中に位置づけ、現代社会における普遍的な連帯の可能性を理論的に探る。大澤社会学・最新の地平。

感想

  • ほとんどメモを残さずに読んでしまった & 途中でバクマンとナルトを全巻読むなどして間があいてしまったため、あまりここに記せることがない・・・。以下、極めて内容の薄い感想。
  • 現実の対義語として理想、夢、虚構があり、日本では時代と共にその順番で移行してきたというのはなるほどなと思った。
  • オタク論の部分も非常に興味深く読めた。
  • 仮説から仮説を導いたり、全く無関係な出来事との類似性から仮説を立てたりといった論理展開が多く、「まぁ確かにそういう解釈は成り立つけど・・・。」という印象を感じざるを得なかった。文体も相まって、あまり肌に馴染まなかった。
  • 見田さんと師弟関係にある方ということで、見田社会学的なものを求めて読んでみたという節はあったが、そういう意味では望んでいたものは得られなかった。社会学的なアプローチによる現実の解釈はなるほどなと思うが、人々の人生に実存的な影響を与えるような力は無いように感じた。
  • 現実からの逃避と現実への逃避が同時に起きている?的な指摘があった。「AからのB」と「AへのB」というメソッドは、見田さんの疎外に関するアイデアから譲り受けたものなのだろうなぁと感じた。

from where?

  • 見田宗介氏関連の文脈で、大澤真幸氏の書籍は読みたいと思っていた。
  • 実家に帰ったらこの本が家にあったので、ちょうどいいと思い持って帰って読むことにした。

to where?

  • 特になし。

寺山修司『青少年のための自殺学入門』を読んだ

どんな本?

  • 「死ぬ自由くらいは自分で創造しよう。死の音楽、死神占い、死と賭博等の考察から、自殺機械の作り方、上手な遺書の書き方、動機の立て方、場所の選び方、自殺のライセンスまで、死と真面目に戯れ、方法化し、受け身の死を排し、“充分に生きるために”死の確固たる思想を打ち立てることを軽妙な筆致で提唱する、寺山版〈自殺マニュアル〉。」amazonより。

感想

  • 全体としては特別心惹かれるというわけではなかったが、ところどころグッと来る箇所があり(下のピックアップメモに書いたような内容)、満足感は高かった。
  • 時代性を感じた。その時代に生きているからこそ深く理解できるんだろうなと思う文章もあったが、それでもその文章を通じて伝えたいこと自体は、そういうコンテキストを超えて刺さるものがあった。たまたま大澤真幸『不可能性の時代』を同時に読んでいたおかげで、読みやすかったように思う。
  • 全体としてはそこまで印象に残らないが、ところどころ力強くグッと来る箇所があったので、★★★★☆とした。

ピックアップメモ

  • p63

自殺が美しいとすれば、それは虚構であり、偶然的だからである。ぎりぎり追い詰められた中小企業の経営者の倒産による自殺は、自殺のようにみえるが実は、"他殺"である。膨張しすぎた資本主義社会の歪みから出てくる自殺は、自殺いかんを問わず他殺であるから、私の<自殺学入門>のカテゴリーからはみ出す。私は、自分が死に意味を与えることのできるような偶然的な自殺だけを扱ってゆき、もっとたのしみながら、自殺について語りたいと思うのだ。

なるほど確かにそれは他殺として扱った方が自然である。
仮に自殺願望が湧いたら、それが実質的に他殺でないか検討しよう。他殺ならば逃げて然るべきである。

  • p70

家庭は幸福で、経済的にも充足しており、天気も晴朗で、小鳥もさえずっている。何一つ不自由がないのに、突然死ぬ気になる。—という、事物の充足や価値の代替では避けられない不条理な死、というのが、自殺なのであり、その意味で三島由紀夫は、もっとも見事に自殺を遂げたことになる。自殺はきわめてブルジョア的なものであるということを知ることから始めない限り、"何者かに殺される"のを、自殺ととりちがえているのに変わりはない訳である。

真に自由意志で死ぬことこそが自殺である。それは必要に迫られて行う自殺とは区別されなければならない。
ちょっとズレるが、自分はこのような恵まれて充実した環境で死のうとは思わないだろうが、仕事(お金をもらって働くこと)はしたいと感じている。生きるために必要に迫られて行う労働を、真に自由意志のもとで行われる労働を区別し、後者をおこないたいという欲求がある。

  • p73

"一人で生きる"ことがむなしいように、"一人で死ぬ"こともまたむなしい。パートナーを選んで自殺することは、二人で、"同じ夢を見る"ことだ。
・・・
私は心中が好きだが、それは並の自殺よりも贅沢だからである。

自分のおそらく叶わぬ(しかし強い)願望として、いつか年老いたら妻と同じ場所で同時に死にたいというものがある。
しばしば妻に話し、共感を得て、二人揃ってしみじみしてしまう。
この死は自殺ではあるが真にポジティブなものであり、まさに他殺とは区別されるようなものだと感じる。「贅沢」という表現は言い得て妙だ。

  • p97

引用はしないが、3人の家出少年少女に対するインタビューが、ほとんど口にされた表現そのままという感じで掲載されている。
時代は違えど若者は若者で、思い悩み、自分なりに考え、必死に生きているんだというのが伝わってきて、印象的だった。
インタビューというのは綺麗に整形されて残されるのが通例だが、敢えてこのような形で残すと、全く違った価値が生まれるのだなぁと感じた。
読めて良かった。

from where?

  • 立花隆臨死体験』で紹介されていて、読んでみることにした。寺山修司の作品には一度も触れてこなかったので、良い機会だと思った。

longtime1116.hatenablog.com



to where?

  • 特になし。

立花隆『臨死体験』を読んだ(上下巻)

どんな本?

  • 「科学はどこまで臨死体験の核心に迫りうるのか。生物学者や神経学者は、様々な実験や仮説によってそのメカニズムの解明に挑み、成果をあげてきた。しかし、なお謎は残る。蘇生した人々はなぜ、本来、知るはずのない事実を知ってしまうのだろうか…。構想、取材、執筆に五年。発表と同時に大反響を呼んだ著者渾身の大著。」amazonより。

感想

  • 豊富な実体験のインタビューが載っており、それに対して筆者が科学的に解明できる部分とそうでない部分をああでもないこうでもないと検証していく感じの本だった。文庫本で1000ページにも及ぶ大作だが、文章は非常に読みやすく引き込まれるので、スイスイ読めた。
  • 立花隆が書いているからこそ安心して読めるが、全く無名の誰かが書いていたら、上巻の途中で「なんか怪しいスピリチュアル本感あるかも・・・」と読むのを辞めてしまったかもしれない。
    • そういう意味では、こういう信頼・実績のある人にしかできない仕事のように思った。とんでもない量の取材、分野横断的な知識を前提とした鋭い考察なども含めて、立花隆だからこそ書けた本だという印象がある。読めることに感謝。
  • 読む前に「こういう内容が知りたい」と思っていたことがまさに書いてあった。満足度120%。
  • 臨死体験が脳内で起きることなのか、観測できない別種の現実で行われていることなのか、それはわからない。しかしとにかくどちらの場合でも死に対して恐怖を抱かなくて良いのだという気持ちになれたのは、本当に大きい。読んで良かった。
    • 前者の場合は死へのプロセスに対する恐怖からの解放、後者の場合はそれに加えて死後の世界に対する恐怖からの解放ももたらす。どちらの可能性もあり得るが、どちらにせよ安心していいのだ!
    • もちろん、死の直前のプロセスへの恐怖はかなり減ぜられたが、もうちょっと前段階のプロセス(健康寿命が終わってから臨死体験するほど死に直面するまでの間)への不安は残っている。ここに対する向き合い方については今後も考えていく必要がある。
  • 臨死体験につながるプロセスとして、脳の低酸素状態で説明できる部分も一部あるので、そのような形の死に方をしたいものだ。電車への飛び込みとか、脳が一瞬で四散するような死に方はしたくないと思った。
  • 死に隣接したくはないが、人生パノラマ回顧や体外離脱、全てを理解したという感覚などは体験してみたい。しかしよほどのことがない限りは死ぬ瞬間まではお預けだろう。

その他メモ

  • 臨死体験で体験する内容は文化ごとに大きく異なるが、その文化の中ではかなり共通する事項が多い。また、人生観にポジティブな影響を与えたり、幸福を感じたりするという点では、文化問わず共通している。
  • ブッダやキリストのような「神のお告げ」を聞いた者は、臨死体験に近い体験をしたのではないかという通説があるというのはなるほどなと思った。
    • 彼らが宗教を立ち上げ、世の中の多くの人々がその影響を一定受けるようになり、人々の臨死体験の内容にそれが反映されてしまうようになったのだろう。それゆえ、彼らのような宗教家はその時代以降生まれてこないのかもしれない。
    • 「修行の末に悟りを得る」といった話が信じられ、実践する者が多く存在する。もしもそれがまるっきり嘘だったらそのような教えがここまで世界に影響力を与え続けることは難しそうに思える。臨死体験を語るものが一定いるからこそ、説得力が生まれ、宗教はどこかの時代で影響力を失わずに済んだのかもしれない。
  • 水晶を見たら何かが見えるとか、意図的に過呼吸状態を維持することでトランス状態に入るとか、そういうことを実際に再現できるというのは興味深かった。オカルトやスピリチュアルのカテゴリに属しそうなものを嘘だと一蹴するのではなく、まずそういう発言をする人が一定数いるのだという事実を受け止めた上で、実践してみたり科学的な説明を試みたりするのは、真に科学的な姿勢だなと感じた。

from where?

  • 兼ねてから臨死体験というものがあることは知っており、どこかのタイミングで本を読みたいと思っていた。
  • たまたまブックオフでこの本が上下それぞれ110円で売られているのを見つけ、あの立花隆が書いてあるならトンデモスピリチュアル本というわけでもなさそうなので、買って読んでみることにした。

to where?

- 本の中で紹介されていて、面白そうだった。寺山修司には一度も触れたことがなかったので、ちょうどいいかと思った。